祇園精舎の鐘の声

前々から連載企画として考えていたのですが、他人を傷つけないで笑いだけを取るという、その絶妙なポジショニングの文章が難しそうで、ずっとお蔵入りにしていました。


ただ、「目が遠い☆」コミュニティー参加者第1号の有力候補な某ネット知人が、最近、筆者と同じ道を歩んでいる気がしたのと、本日、別の旧いネット知人から「後3年で10周年を迎えたら、区切り良くサイトを閉じようと思う。」という連絡が届いた事で、少し思う所が増え、連載稼働をしてみる気になりました。


因みに今回予定している内容というのは、平たく言うと、「所謂“アイドル”を想う気持の栄枯盛衰」です。
もっとも、「業界にこの人アリ」的に場慣れしている訳ではないので(笑)、あまりディープな話題を期待されても困ります…(遠い目)。

キッカケは突然

当然、初回となる本日は、キッカケの話です。


俗に言う“アイドルファン”というのは、一般ピープルから見ると、かなり異質で別世界の人のように思われがちです。
が、筆者の経験からすると、もともと異質で別世界な人がソッチに行ってしまったのではなく、普通の人が、ある日突然、進化してしまうケースの方がずっと多いような気がします。
確かにアイドルファンも同じ人間であり、スーパーサイヤ人とは訳が違います。


そもそも、ファンとファンで無い人の定義というのが難しい。


例えば、堀北真希
堀北のセーラー服姿がかわいいな、という事で、ドラマを見ている人は、堀北ファン?そうではない?
雑誌の表紙が堀北で、かわいくて、ついつい普段買わない雑誌を買ってしまうと、その段階で「ファン」にレベルアップ?
雑誌位ではダメで、写真集に手を出してしまって、初めて「ファン」?
握手しないと「ファン」ではない?
舞台挨拶を見てしまった筆者は…既に堀北ワールドの住人?


色々考えてみるに、結局の所、「ファン」というのは、定義が有るようで無いものであり、単に「自覚するもの」でしかない、と筆者は考えます。
余談ですが、よく「ファンなら…。」という説得をする機会があったり、見たりしますが、往々にして、その議論が難航する事が多いのも、「自覚レベルが人によってまちまちで、そもそも自分と相手の感覚が同じ土俵にあるとは限らない」のが理由なのでしょう。


が、それは別の時に取り上げる話題という事で、話を戻して。
以上を踏まえて、もし「ファンになる瞬間」を定義するとするならば、「この子がかわいいと思う俺がいる。」と思った時が、恋の始まりなのと同様、「この子に注目している俺がいる。」と気づいた時が、きっとその人が「ファン」になった瞬間なのでしょう。
そして、それはやっぱり、恋と同じで、いつでも誰にでも、突然始まりうるものなのだと思います。
その為、


アイドルファンは異質。


というのは、或る意味、間違った解釈でしょう、きっと。


因みに、筆者の場合ですが、ナガサワ界隈に足を踏み入れた、そもそものキッカケは、「今年の特撮ヒロインは太ももがすごい。」というのをどこかで見て、ついつい全く見ない日曜日の朝の枠の「ハリケンジャー」を見てしまった事だった気がします(自爆)。
でも、冷静に考えて、子供番組に太もも以上の何かを期待できる訳はなく(期待してたんだ…)。


が、それに気づかず、「何か(求めているものと)違う。」と思いつつも、ずるずると見ているうちに、アクションのハラハラを恋のドキドキと勘違いする吊橋効果(今から思えば)。


という訳で、なぜかイベントに行ってみようという話にまでなってしまい(汗)。
が、生で見ても「何か、やっぱり、ちょっと違う。」という感じだったのですが(確かに、クリティカルヒットは、実は敵役のあずちゃんの方でした…)、それでも、なぜか、「袖振り合うも多生の縁」とばかりに、何度かイベントに行ってしまい、そのうちに、「雨女」とか「変」という、新たな「これこそ!」という魅力を発見(爆)。
気づいた時には、手遅れで、すっかりナガサワワールドに取り込まれ、今のような状態になっている、という寸法です。


とまぁ、つまらない裏話をしてしまった所で、今回はこの辺で。
次回は、この続きで、「アイドルファンになりやすい人」の話題などを考えていますが、「次は何時なんだ!」という突っ込みはご遠慮ください(汗)。
(それ以前に、ツマラナソウな企画という事になると、消えます…)