棲む世界。

カテゴリー「哲学」とか作る方が良いのかな、とか思いつつ。
でも、そういう重い話題が満面になるのは困るし。


良く、「棲む世界が違う」という言い方をします。
で、それが正しいかどうかが、話題になります。
「神が存在するか否か」と同じで。


筆者は、ありえると思っています。
ただ、その多くは、初めから世界が違っているのではなく、「理解出来る人」と「理解出来ない人」の間の壁なのだと思います。


他人を理解したくない人。他人が理解できない人。他人の意見を柔軟に取り入れることが出来ない人。とにかく自分の意見の方が正しいと思う人…。
理由はどうあれ、結果的にそうある人は、おそらく、他人の世界に入り込めない。
だから、誰かが、自分の世界を理解してくれなければ、それまでで、そこには壁が生じやすい。


彼女は、友達が少ないと言っていました。
筆者は、その理由がわかりませんでした。


ただ、最近、やっとわかりはじめました。


彼女は、「でも、気のあう人と仲良くなれていればそれでいい」とも言っていました。


初め、筆者は、なるほど、と思っていました。
ただ、それは、結局のところ、自分と意見の合う人だけの集団に閉じこもろうという事でした。


それを否定したいわけではありません。
ただ、「自分と違う意見を取り入れる人」と「自分と違う意見は取り入れられない人」は違い、前者は後者を理解できるけど、後者は前者を理解できず、そこには壁が生じる…という事です。


結論として、筆者と彼女は、棲むべき世界が違うようでした。
そして、彼女にとっては、新しい世界を垣間見るよりも、今の世界に留まる方が幸せ…という事でした。