三国志DS3・その1
シナリオ2/史実初級/曹操の場合
とりあえず、何かの参考になる事を期待して、覚えている範囲で、筆者のプレイ実録メモ。
シナリオ2について
シナリオ2は189年12月から始まり、
勢力図としては、董卓が最も勢力を広げていますが、
設定的には、反董卓同盟が成立する直前。
これから董卓は衰退し、曹操が台頭していくという時期なので、
「史実モード」である以上は、
むしろ曹操が、かなり初心者向けというシナリオ。
189年(12月開始)
この年の主な出来事
- 兵力を二分して、許昌占拠
兵力は集中して用いるべきであり、
本来、序盤の兵力分散は避けるべきなのですが、
史実モードの場合、翌年の1月になると、
かなりの確率で、反董卓同盟が成立します。
このゲームでは、良くも悪くも同盟中の侵攻が不可のようであり、
同盟期間の1年間は、兵力を分散していても、
攻め込まれる事が(基本的には)なくなる様子。
というわけで、同盟成立を前提として、
翌月の収入増に向けて、いきなり都市を増やしました。
初めから配下が多い曹操だからこそ、出来る技。
190年
この年の主な出来事
- 反董卓同盟(1月)
- 洛陽炎上(2月)
- 「戦車」研究
- ひたすら富国強兵
反董卓同盟が成立しますと、
曹操の場合、
攻め込める都市(隣接の同盟外都市)が洛陽のみになりますが、
その洛陽も翌月には、ほぼ間違いなく焦土と化し、
敢えて占拠する魅力が乏しくなりますw
という訳で、武将の引き抜きと、内政と、募兵で、ひたすら富国強兵。
ちなみに、外交と計略には人を当てず、もっぱら内政と軍事を担当させますが、
3ヵ月ごとの担当変更可能月は、
一旦全員内政に変更→開発コマンド→担当再分配
外交又は計略に担当変更→該コマンド実施→担当再分配
のような姑息な手段も用いますw
それはさておき、後は、なぜか同盟を利用して戦車を開発していたような記憶。
191年
この年の主な出来事
- 言焦[孔チュウ]攻略
- 汝南[袁術]攻略
- 韓馥と同盟
- 「筒袖鎧」研究
君主名の「孔チュウ」も都市名の「ショウ」もデフォルトでは、漢字が出てこないんですがw
とりあえず、同盟が切れたところで、腕試し。
ゲームシステム上、複数隣接都市から攻め込む事が有利な時が多いので、
筆者は、まず陳留と許昌の双方に隣接する言焦に攻め入りました。
その後、一旦、国力を整えてから、
言焦を内地化する事を視野に入れ、更に西の汝南を制圧。
ゲーム開始時には、汝南は空白都市であり、
そのままであれば、何の苦も無く得る事が出来るのですが、
筆者プレイでは、先に袁術に取られてしまい、
でも、初志貫徹で、いきなり、董卓以外に袁術まで敵に回す羽目w
もっとも、後方の憂いを減らすという意味で、
反董卓同盟が終わった後も、
ギョウに居座る韓馥とは同盟を継続し、
更に、この同盟を利用して「筒袖鎧」の研究をした記憶。
192年
この年の主な出来事
年初から、数か月イベントが続き、
数か月後に董卓は呂布にとって代わられます。
この時、呂布の配下は忠誠心がガクッと落ちるので、
どさくさにまぎれて、呂布配下の武将をガッツリ引き抜きまくりw
一方、領土拡大の方は、前年に袁術を敵に回してしまった為、
そのまま袁術を滅ぼすべく、まず宛を攻めたのですが、
うっかり空白地の新野に袁術を逃してしまった上、
7月に、いきなり献帝イベントが発生し、洛陽攻略の追討令が発動^^;
ちなみに、この時、洛陽は、袁紹におさえられていまして、
洛陽確保に総力戦^^;
一応、武将の質に物を言わせて攻め取ったものの、
これで、呂布、袁術に続いて、袁紹まで敵に回す羽目…(遠い目)。
193年
この年の主な出来事
- 濮陽[橋瑁]攻略
- 劉ヨウと同盟?
- 「連弩」研究
この年だけ、かなり記憶があやふやなのですが、
洛陽遷都(個人的に)の後、
何を思ったのか、敵対関係にある呂布、袁紹、袁術を全て放り出して、
同盟中の韓馥を利用して橋瑁攻略をしていた記憶。
後は、その後の陶謙戦を想定して、劉ヨウとも同盟を結んでいた気がします。
194年
この年の主な出来事
まず、韓馥との同盟が切れたところで、韓馥を攻め滅ぼしましたw
ここで初めて、許昌が他国との隣接が無くなり、内地化。
その後、陳留、言焦も内地化すべく、
これらが接敵する唯一の都市となった陶謙領の徐州を攻略。
陶謙は徐州とカヒの2都市を持っているので、サクッとカヒに退却してくれますが、
配下に大喬・小喬がいるのが羨ましくて
休む間もなく、続けてカヒまで攻め入り、陶謙滅亡。
195年
この年の主な出来事
- 江東攻略
ひとくくりに「江東」と書いてしまいましたが、
君主で言いますと、劉ヨウ、厳白虎、王朗の殲滅。
都市で言うと、寿春、建業、呉、会稽と攻め進み、最後に、戻って、盧江。
流れとしては、
洛陽、宛、濮陽に最低限の兵を置いた(2,3万人程度?)上で、
まず、汝南・徐州・カヒから寿春攻め、汝南と徐州を内地化。
次に、寿春とカヒに最低限の兵を残しつつ、建業を取り、
建業から一気に、呉、会稽を落として、
最後に、接敵都市を最小限におさえるべく、
劉表が占有済みの盧江を孫堅との共同戦線で攻略。
196年
この年の主な出来事
- 河北制圧
盧江を落としたところで、一旦、南方は守りに専念する事とし、
余っている兵力を用いて河北に攻め上がります。
まず、徐州・カヒから北海に攻め入り、孔融滅亡。
筆者プレイでは、ここまでは数万の兵力(多くて5万ぐらい)を出兵し続けるだけで常勝だったのですが、
この時点で、平原の劉備が、なぜか10万規模の兵力を持っており、
しかも、関羽・張飛を従えている点で少し驚異な状態。
で、おきまりのように、同盟を結んで、散々利用して、兵数を減らしてから攻めようと考えた訳ですが、
よくよく地図を見ると、この時点で、劉備と共同戦線が張れるのは、その北海以外に南皮しかなく、結局、劉備との同盟はやめて、北海ともども、その平原も力でねじ伏せましたw
といいますか、ここまで来ると、既に武将の質、兵数、いずれも他国を圧倒できる状態らしく、袁紹、公孫サンも同様に力でサクッとねじ伏せ完了。